大阪高等裁判所 昭和43年(う)1508号 判決 1969年1月27日
被告人 熊沢敏之
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意及びこれに対する答弁は、弁護人田中幹夫作成の控訴趣意書及び大阪高等検察庁検察官上西一二作成の答弁書記載のとおりであるから、各これを引用する。
控訴趣意第一点原判示第三事実についての事実誤認の主張について
論旨は、原判決は判示第三事実について被告人の三宅和行、八山佳夫、木下武に対する傷害の未必の故意を認定したが、被告人には車を発進すれば同人等を路上に転倒させる等して傷害を負わせることが起り得ることについて認識がなく、このことは当時被告人が酩酊していたこと、車を発進した時の速度は車のステツプなどにいる人が安全に車から離れるのに困難な速度でなかつたこと、被告人の性格等から考えて容易に認められるところで、この点原判決には事実の誤認があるというのである。
よつて所論にかんがみ記録を精査して検討するに、原判決挙示の証拠殊に三宅和行、八山佳夫、木下武の司法巡査に対する各供述調書及び被告人の検察官に対する供述調書によると、被告人は被告人の車を制止しようとして三宅和行が車の右側のステツプに足をかけて左手を窓の中へ入れ、また八山佳夫、木下武等が助手席のドアの直ぐそばに立つていること及びそのまま発進すれば同人らをそのため路上に転倒させる等して傷害を負わせることが起り得ることを知りながら、あえて時速約一〇キロメートルで発進したことが認められ、原判決には所論の事実誤認はないから論旨は理由がない。
控訴趣意第二点原判示第四事実についての事実誤認ないし法令適用の誤の主張について
論旨は、道路交通法七二条一項所定の救護等の義務違反及び報告義務違反が成立するには、運転者等の乗務員に人の死傷又は物の損壊の事実の発生の認識が未必的にしろ存在しなければならないことは最高裁判所昭和四〇年一〇月二七日の大法廷判決の判示するところであるが、被告人には三宅和行、八山佳夫、木下武等に対する傷害の故意は勿論、同人らに傷害の事実が発生したことについて認識が全くなかつたのであるから、原判示第四事実の救護等の義務違反及び報告義務違反の各罪の成立を認めた原判決には事実誤認ないし法令適用の誤があるというのである。しかしながら、被告人は控訴趣意第一点に対する判断で示したとおり、そのまま発進すれば三宅和行ら三名をそのため路上に転倒させる等して傷害を負わせることが起り得ることを知りながらあえて車を発進したものであり、従つて右傷害の事実を未必的に認識していたものと認むべきものであるから、原判決が原判示第四事実について所論被告人の認識の欠如をもつて救護義務違反及び報告義務違反の不成立をいう主張は採用することができない。
控訴趣意第三点原判示第三事実についての法令適用の誤の主張について
論旨は、原判決は原判示第三事実の傷害を道路交通法七二条一項所定の「車両等の交通による人の死傷」にあたるとして原判示第四事実の(一)、(二)について有罪を認定したが、右は法令の適用を誤つたものであり、同条項の運転者の緊急措置義務は被害者の救護、交通秩序の回復という行政措置のための協力義務であつて、本件の如き傷害(故意犯)事件は公共的利益保全のための行政措置が問題となる事案ではなく、同条項の適用がないというのである。
よつて所論にかんがみ、先づ本件傷害が道路交通法七二条一項所定の「車両等の交通による人の死傷」にあたるかどうかを検討し、次いで本件の如き傷害罪(故意犯)による傷害事故の場合における同条項の適用の是非について検討を進める。
原判決挙示の各証拠によると、被告人は、(イ)、普通貨物自動車を原判示第一の路上で運転中原判示第二の物損事故を起したが、(ロ)、そのまま運転を続けて逃走し、原判示第三の路上で横断者待ちのため一時停車中、(ハ)前記三宅和行ら三名に制せられるやその制止を免れるためやにわに発車して、(ニ)、同市東田町迄運転して逃走したことが認められる。ところで、右(イ)、(ロ)及び(ニ)の普通貨物自動車の運転が同条項所定の車両の交通又はそのさいに行なわれた行為の範囲に入ることは論をまたないところであるが、(ハ)の発車行為もまた(イ)、(ロ)及び(ニ)の車両の運転行為とともに一連のもので車両による交通の一部を形成するものであり、かつ被告人の右発車の主たる意図もまた車両を運転進行することにより事故現場から逃走しようとする点にあつたのであつて、右車両の運行による逃走の目的を遂げるため、これに随伴して原判示の傷害の未必の故意を生じたものに過ぎない。従つて本件傷害は同条項にいう車両等の交通による人の死傷にあたるものと解される。
次に、本件の如き傷害罪による傷害についても、同条項の適用があるかどうかを検討するに、同条項は、交通事故における被害者の救護および交通秩序の回復等緊急を要する応急措置を講じさせる義務と当該事故等に関する報告の義務を定めたものであるが、かかる義務を科すべき必要は、右条項にいう人の死傷の結果を発生させた原因行為について故意過失の有無を問わないものと解すべきである(大審院大正一五年一二月一三日判決参照)から故意犯である刑法上の傷害罪にあたる行為であつても、それが本件の如く車両等の交通によるものと認められるかぎり、これについて特に同条項の適用を除外すべき理由は見当らない。そして、かように解することは、当該犯罪行為が車両等の交通又はこれに随伴して行なわれたことを前提とするものであつて、これを故意犯を含む犯罪一般に推し及ぼそうとするものでないことは勿論、車両が犯罪の手段となつている場合でも、その交通に関連なく、車両内で行なわれた犯罪や、当初から車両の運行を犯行の手段として利用する意図のもとに行なわれた犯罪についてはこれを論議の対象としているものではないから、いわゆる不作為犯における作為義務を不当に一般化し、あるいは憲法に保障された自己負罪に対する特権を奪う等の非難を招くものではないと考えられる。かくして、本件について前記法条に定める各義務の存在を認めた原判決の判断は結局正当と認められ、原判決には所論の法令の適用の誤りはないから、論旨は理由がない。
控訴趣意第四点量刑不当の主張について
所論にかんがみ記録を精査して検討するに、本件は被告人が酒に酔い普通貨物自動車を運転して原判示第二の物損事故を起してそのまま逃走し、途中一時停車中前記の事故を目撃して追跡してきた三宅和行ら三名に制止されるや、同人らに傷害を負わせることが起り得ることを認識しながらやにわに車を発進して同人らに原判示の傷害を与え、しかも原判示第二、第四の報告義務違反、救護等の義務違反を伴うもので、現下交通法規の遵守が強く要求せらる交通事情に照らすとその犯情は重く、記録に現われた諸般の事情を考えると、被害者に弁償してその宥恕を得たことなど所論の点を充分参酌しても原判決の量刑が重過ぎるとは考えられないから論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 畠山成伸 神保修蔵 西川潔)